宝くじコーナーに並ぶ夢見がちの人よりは、夢のない質素倹約生活
何とか体調は回復しましたが、床に入っている間は、あれこれ考えましたね。
どうしてもネガティブな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え、です。
お金を節約。
すると?
あれも買えない、これもお預け。
なんだかつまらない。
夢がない。
こんなつまらない日常を生きていても意味があるのだろうか?
そんな、どうでもいいことばかりが頭の中で思考がグルグル回転していました。
もちろん、生きている意味がないからといって死にはしませんけどね。
生きている意味がない、イコール、死ぬ、ではないと思うので。
生きている意味なんてなくても、生きる、生き残るのが生物というものです。
ただ、あれも我慢、これも我慢というのは、今まで放蕩生活を続けてきた者からしてみれば、けっこうストレスなんだなということが分かりました。
少なくとも楽しくない。
しかし、逆に言えば、今までは、あれもほしい、これもほしい、その気になれば、借金してでも(ローンをしてでも)、いつでも買えるという前提があっての、楽しい暮らしだったということも分かりました。
いかに、未来に期待して、その幻想に酔って楽しいという気分を味わっていたのだということが分かりました。
これって、宝くじに当たったことを前提に、あれも買おう、これも買おうと夢見て、銀座や新宿などの宝くじ売り場に行列を作る人たちと何ら変わらないなということに気がつきます。
自分は宝くじはやらないし、ロト6もやったことがありません。
やったところで当たらないということが分かっているからです。
でも、今回の病床で、「宝くじは夢を買うものだ」とよく言われている言葉の意味がよーく分かりました。
結局人は、あれも買えるかもしれない、これに対してもお金を遣える、ということを夢見て、その夢を食べながら生きているんだな、と。
そして、宝くじ売り場に並ぶ人たちをバカにしていた自分も、結局は同じ穴の狢だったんだということもよーく分かりました。
質素、堅実、倹約生活。
たしかに夢がありません。
しかし、お金持ちになるための体力作りに必要な期間だと考え、耐えることにします。